【PR】

  

Posted by TI-DA at

2009年12月31日

ブラジル家族旅行記⑥。

マリンガで2泊したあと、夜行バスに乗って再びサンパウロへ。

行きは大変だったが、帰りは無事何事もなくバハフンダに到着。

まだにーぶいじらーの母子。

市内バスに乗り換えて、義母の家へ向かう。
そのバスに乗るときに、またちょっとトラブルがあったのだが・・・。
ま、簡単に言えばバスの運転手の態度の悪さに、主人がクレームを言ったという話。
ウチの主人は外見は日本人だが、頭の中は完全に外国人だと、こんなときにつくづく思う。黙ってられないのだ。
妻としてはハラハラしてしまうが、ブラジルでは思ったことを言い合うというのは別に珍しくもないし、言いたいだけいえば後は尾を引かないというのも事実だし。

というわけで、ちょっと気まずい車中であったが無事に義母の家に着く。

義母の家は団地のようになっていて、子供たちが集まる遊具がある場所がある。

大人と違って元気なチビたち。
早速「ブランコ~」と遊びに行く。

ウチの子のほかにも、子供たちが集まってきて。

言葉は通じなくても、すぐに一緒に遊び出す。

子供ってすごいね~。

この後は、毎回恒例となっている「家族写真」を撮るために集合。

主人の鶴の一声により、家族全員がサッカーのシャツを着て写真を撮る。
しかも、必ず「お色直し」をする。
今回は、3パターンのサッカーチームに。


 
このために、わざわざ日本からサッカーのシャツを持ってきている主人。
スーツケースの半分はサッカーのシャツだったような・・・。

この写真を撮れば、ひとまず安心。

後はもう、帰国の準備となる。

義母宅にて一晩はゆっくり眠ることができたが、翌日の夜にはもう日本に向かう飛行機に乗らねばならない。

ちょっと出かけたいところもあったがあいにくの雨もようのため外出を避け、家で荷造りに励む。
ブラジルに来るときは2つだったスーツケースが、いろいろ荷物が増えて倍の4つに。

夜11時ごろの飛行機に乗るため、義母宅を7時ごろ出発。

グアリューリョス空港に到着し、手続き。

 
もうお疲れぎみの二人。
 
さようなら~ブラジル~ちゃお~。

結局ブラジルに滞在したのは5泊6日。
そのうち2泊は夜行バスの車中だったから、ゆっくり眠れたのは3日間。
会いたい人たちに予定通り会えたのは幸いだったが、観光まったくなし。
いくつか食べたいものがあった中、「パステル」を食べる機会がなかったのが超くやしい~。
主人も主人の妹さんとも、共通の後悔。
そのほかフェイラにも行きたかった~。リベルダージにも行きたかった~。

乗り換えはNY。

5時間くらい時間があったので、空港内で買い物したり朝食をとったり。

軽く朝食を、のつもりがなんだかすごい量になってしまう。
さすがアメリカサイズ。
食べ切れなくて、半分は後ほど機内持ち込みに。


NYの空港でプチアメリカ旅行気分を味わった後、再び飛行機に乗り込んでいよいよ日本へ。

長い旅、二人ともよくがんばりました~。

11月24日午後、無事に成田に到着。

成田で見つけた面白い?募金箱。

世界中のお金がこの募金箱に。

私たちも、ブラジルのREALやアメリカドルをちょこっと寄付させてもらう。

この募金いい考え~。


荷物を取って、今度は羽田に向かう。

羽田では姉が迎えてくれて。

この後、またすぐに沖縄行きの飛行機に乗り込む。

もう疲れて、写真もなし・・・。

以上、ブラジル家族旅行記でございました。

8ヶ月の妊婦だったため、いろんな方にご心配をおかけしてしまいましたが、こうして無事にブラジル家族旅行を終えることができました。本当にありがとうございました。

早く旅行記を書き終えたいと思いつつ、いろいろ忙しくぎりぎり年内に、ということになりました。
(記憶も薄れて詳細が思い出せず・・・スミマセン)

さて、来年もまた我が家のニュースを楽しくお届けできればと思います。

いつもブログを楽しみにしてくださっている皆さんのおかげで、私も毎日充実して幸せな日々を送ることができている気がします。

どうぞ来年も「ブラジル的幸せ生活de沖縄」をよろしくお願い申し上げます。

よいお年を。Ate ano que vem!

FELIZ ANO NOVO!!


  


Posted by ぶるーな at 11:12Comments(2)

2009年12月29日

ブラジル家族旅行記⑤。

マリンガ二日目は、主人のお友達に会いにあちらこちらへ。

主人が8年かけて卒業した、UEM(マリンガ大学)にも足を運ぶ。
UEMでは私もポルトガル語を勉強するために通ったところだし、以前すんでいた家もすぐ近くで懐かしいエリア。
 
横並びのアパートで、一番右端が住んでたところ。
外見は2階建て、中は4階構造でやたら階段が多かったことと、ドロボーに入られていろいろ持っていかれたことが昨日のことのように思い出される・・・。そのときの様子を知りたい方はこちらへどうぞ。

セントロ(町の中心部)をウロウロ。
 
暑いので、水分補給をしながらの移動。

夜には友人たちを誘ってJANTAR(夕食)へ。

主人が大好きな「ラザニア」が食べたくて、ここへ。
必ずこのレストランで食べたい!と沖縄にいたときから楽しみにしていた。
が、ここで事件が。
食後のデザートが付いていると言われ、出てきたアイスクリームをみんなで食べたのだが、食べ終わって会計をするときに、実はそのアイスクリームに関しては有料だと言われた主人。「話が違う」とオーナーを呼び出してクレームを言ったのだが、結局はこちらの勘違いということで片付けられてしまい、納得のいかない主人。紛らわしい説明をしたウエイターに間違いを認めて欲しかったのだが、反省の色なしの態度。
「二度と食べに来ないぞ~。たいしておいしくないし」
と、ご機嫌ナナメに。
私としては「まーまーまー」と適当に主人の怒りをなだめたかったのだが、結局沖縄に帰るころまで引きずっていた。
すごく楽しみにしていただけに、裏切られた感が強かったようだ。
ま、私はお腹いっぱい食べれてよかったけど~。

それからマリンガ三日目。

この日の夜には、また夜行バスに乗ってサンパウロに行かねばならない。

ホームのお年寄りと過ごせる時間もわずかなので、朝5時に起きて早起きのS平さんと一緒にNHKの大相撲観戦をし、その後7時からは朝のカフェをみなさんととらせてもらう。

「朝の歌」の時間には、私の知らないうちに、ウチのチビたちが乱入し・・・
 
堂々と?レクに参加。

どうも失礼しました~。

お年寄りたちとも記念写真。

↑沖縄系2世の喜〇武さん。   ↑一緒に日本に帰りたがってたTさん。

昼からはまたお出かけし、この日も主人の友人知人に会った後、セントロでカショハオン(ホットドック)を食べに。

カショハオンも、ブラジルに行ったら必ず食べるぞと楽しみにしてたひとつ。
特にマリンガのこの街角にある屋台形式のカショハオンは私の大好きな場所。
そしてここが私と主人が初めて出会った場所であり、我が家の原点とも言うべき神聖なる場所なのであった。
神聖なる場所のわりには、排気ガスやゴミで汚染されぎみだが。


トゥバイナ(安い炭酸飲料)飲んでたら、必ず蜂が飛んでくるし。
その蜂を上手に払い退けながら、カショハオンをほおばるのが、また楽し。

マリンガのカショハオンは、ボリュームたっぷり♪
子供たちは半分づつでも食べきれないほど。

この後宿泊させてもらってたホームに帰り、帰りの準備をしたりしてたらあっという間に帰る時間。


お世話になった皆さんありがとうございました~。

大好きなマリンガ。




またこうして家族で訪れることができますように・・・。

・・・続く・・・  


Posted by ぶるーな at 23:42Comments(0)

2009年12月27日

我が家のNATAL。

引越しして初めて迎えるクリスマス。

目覚めた子供たちがプレゼントを見つけ、喜びの声をあげる・・・というのはどこの家でも同じだと思うが。

我が家は早朝から、全員これ↓。

朝の7時にサンタになって記念写真。
なんで私まで・・・?と思うが、「はい、ママのはコレ」と衣装を渡されるのを拒否できない雰囲気。。。

ま、子供たちが喜んでくれたのでよしとしよう。

夕方には母と東京から帰ってきてる姉を招待してささやかながらクリスマスパーティー。

手作りの・・・と言いたいところだが、買い揃えただけ。すみません。


かんぱーい。

娘たちもハイテンションで、

くつした履いてみたり・・・

おひげ着けてみたり。

家族で楽しく過ごしたクリスマス。

感謝感謝。

FELIZ NATAL!!!  


Posted by ぶるーな at 05:36Comments(2)

2009年12月24日

降雪。

「沖縄にも雪が降ればいいのに~」
というのが、我が家の長女の夢。

昨日、その夢、叶う。

お引越しに伴って購入した家具についてた発砲スチロールを、たまたま二女が踏み潰したのをきっかけに、二人で粉々に。

最初はちょっとだけならいいか、と静観していたがそのうち主人も加わっての雪合戦に発展。

粉々になるにつれ、吸着力?の増す発砲スチロール。
服や髪に吸い付いていく。それが楽しくて大はしゃぎの幼児二人。

夢が叶ってよかったはずねー。

この後の片付けがどんなに大変だったかは、興味ないよねー。
(ほうきで掃き集めても、静電気で飛んでいきますから・・・)  


Posted by ぶるーな at 10:34Comments(4)

2009年12月21日

ブラジル家族旅行記④。

 朝早くマリンガに到着し、ホドビアリアでカフェダマニャンをとる(バスターミナルで朝食をとる)。
 
ホドビアリアから私がJICAのボランティア時代お世話になった老人ホーム和順会までは、歩いてもいける近い距離にあるのだが、スーツケース2つに、チビ二人(そのうち一人は裸足)、妊婦、という状況のため、タクシーに乗ることに。

7時半ごろ、和順会に到着。
久しぶりに会う入居者のお年寄りたち、職員たちと挨拶を交わす。

約2年ぶりだけど、ぜんぜん変わらずお元気そうな方もいれば、体力が落ちて変わってしまった方、そしてもうこの場所から旅だってしまった方・・・。再会を喜びつつ、亡くなられた方の思い出などを聞かせてもらったり。

和順会で私は2002年から2004年までの2年間ボランティアとして活動させていただいた後、2007年の4月から9ヶ月間は住み込みで家族みんながお世話になったのだ。特に二女の出産前後はここで過ごさせてもらったので、二女にとっては生まれ育った家といってもいいくらい。

そんな思い出いっぱいの場所に、また家族で戻ってこれたことの幸せをじわっと感じつつ、とりあえず部屋に荷物を置かせてもらって、午前中のうちにポリシアフェデアル(警察署)での用を済ませるために早速お出かけ。

二女が靴を失くして裸足のため、とりあえずスーパーに立ち寄って履物を探す。
立ち寄ったスーパーのオーナーさんも、ブラジル滞在時代にだいぶお世話になった方。
二女に履かせる小さい草履を買おうとすると、プレゼントしてくれるという。さらに長女の分まで持ってってとかわいい草履を持たせてもらう。申し訳なくも、ありがたくご好意に甘えさせてもらう。

ポリシアフェデラルに行く目的は、私の外国人身分証明書を受け取ること。2年前に手続きをしていたが、出来上がるのを待たずして日本に来てしまったので、今回はそれを受け取らなけばならなかった。

ポリシアフェデアルは永住ビザの申請や、主人や子供たちのポスポートの更新などでだいぶお世話にもなったところ。書類関係を扱うところではあるが、一応「警察」なので、主人があわや逮捕されそうになったのもこの場所だった。。。とにかく思い出のある場所であることには違いない。

受付を済ませ、しばらく待っていると見覚えのある職員さんが現れる。私が永住ビザを申請したときに我が家に「実調」に来た女性職員さんだった。彼女から出来上がった私の身分証明書を受け取る。おしゃべり好きの主人がなにか言いたげであったが、ここで油断して余計なことをしゃべるとまた「逮捕」騒ぎになる可能性があるので、お礼のみを述べて速やかに退席。

無事に目的を果たした私たちは、お昼をとるためにセントロ(町の中心部)に向かうことに。
バスに乗ろうと待っていると、ある男性が「自分もセントロに行くから車に乗せてあげる」とのこと。一瞬「お金目的?」と疑ってしまうが、そうではなさそうな感じ。見ず知らずの方だったが、本当に親切にセントロまで私たち家族4人を送ってくださって、金銭を要求することもなかった。きっとチビたちをつれてお腹も大きくフラフラ歩いていた私をかわいそうに思ってくれたのかもしれないが、親切なブラジル人に出会えたことに感激。基本的に、ブラジル人は妊婦やお年寄りに親切。ありがたいありがたい。

お昼に食べたいものはいろいろあったが、結局向かった先はやはりよく通った「HATANAKA」という日系人の経営するレストラン。安いランチが主人の超お気に入りで、ビンボーだった私たちはいつもここのランチにお世話になっていた。

ランチは「ごはん、フェジョン(豆)、肉、サラダ」と決まっている。

↑こんな感じ。

お腹を満たし、その後はこの日のメインイベント和順会の「一芸大会」へ。

和順会では毎年9月ごろに「老荘演芸大会」という大きなイベントをして、たくさんの日系人の方が歌や踊りを披露しあうのが恒例行事になっていた。入居のお年寄りたちもこの日に向けて、練習を積み重ねるのであった。

ところが今年は新型インフルエンザの影響で、この大きなイベントが中止になってしまったとのこと。
なんとも残念だったが、その代わりに私たち家族が和順会に来る日にあわせて「一芸大会」を企画して下さったのだ。
そうと知って、これは我が家からも一芸を披露しなければと、娘たちを舞台に上げることに。

二人のエイサーを披露しようと準備してきたが、舞台に上がった二女は泣き出してしまい、結局長女がひとりで踊ることに。
 
 
「七月エイサー」「ありがとう」の2曲を堂々と踊りきり、たくさんの拍手をもらった長女。

お年寄りの皆さんも、練習を重ねた歌を披露してくださり、最後にみんなで記念撮影。
 
入居者の歌のひとつが「てんとう虫のサンバ」だったので、てんとう虫が2匹登場・・・。

楽しいイベントを企画実行してくださったNさんZさん、S先生、職員、理事さん、婦人会の皆さん、本当にありがとうございました~。

この日の夜には、「トンカツパーティー」で夕食もごちそうになり、至れり尽くせりで申し訳ないくらい。

お腹も心も満たされ、久しぶりのマリンガの夜は幸せな気分で眠りについたのであった。(ブラジルについて初めて体を伸ばして眠れた夜だったし♪)

・・・続く・・・  


Posted by ぶるーな at 23:04Comments(2)

2009年12月17日

大相撲浦添場所。

15,16日に行われた大相撲浦添場所。

MYいとこの沖縄出身力士「琉鵬」に会いに行ってきた。

久しぶりに会う琉鵬を前に、その大きさにびっくり&はずかしい二人。
先場所勝ち越した琉鵬。来場所も勝ち越せば十両復活!
ちばりよ~。

 
朝青龍、白鵬、魁皇、琴欧洲、高見盛、把瑠都・・・
たくさんの幕内力士も間近で観戦♪

すべての取り組みが終わった後、会場に設置された土俵を観察。

「塩」に興味津々の二人。

チケット代がもうちょっと安かったら、もっとたくさんの人が見に来てもらえると思ったのだが、どうだろう?
沖縄のおすもうファンが増えるといいな~。

そのためにも琉鵬の活躍、祈ってます!!  


Posted by ぶるーな at 22:13Comments(2)

2009年12月13日

お引越し。

先週、産休に入ったと同時に「お引越し」を決行。



「ブラジルから帰ってきたら、次は引越し」
と目標を立ててはいたが、これほど急に引っ越すことになるとは、実は私も思っていなかった。

長いこと実家に居候の身で母には迷惑をかけていた。それ以外にも早急に引っ越さなければならなかった原因はいくつかあったが、その中でも拍車をかけたのがブラジルから帰ってきた翌日に話題になった「事業仕分け」のニュース。

軍で働く人のお給料を見直し?!

確かに軍で働く人は、ちゃんとお休みも取れるし、お給料も安定しているし、いろいろ手当てもある。
しかし、それを「無駄使い」の対象とみなされることには納得いかない。

沖縄で働くことの厳しさ、働き口を見つけることの困難を、イヤというほど体験してきた主人。
やっとの思いで沖縄で働いて生活していくことに希望を見出すことができた矢先に、その希望の光を消すかのようなニュースに危機感を感じた主人。
「制度が変わる前に引っ越せば、まだ住居手当てがつくはず!」と引越しを決意。
まだ見直しが決定したわけではないのだが、実際少しづつ手当てが厳しくなっている現状があるらしい。それを実感している主人なので今回のニュースにすぐ反応したのであった。

それ以外に、長女の幼稚園の申し込みの問題、私の出産のタイミングなどなど、とにかく「今」が引越し時なのには間違いないが。


物件をいろいろ見回って、私が一番気に入ったところをGET。

実は主人とは物件をめぐってかなり意見の違いがあり、激論を互いに繰り広げていたのだが、結局のところ私の第一希望が通ることに。

やっぱりこれから長く住む可能性があるところだから、気に入ったところでなければね。

まだほとんど荷物は運んでないお部屋。

家族も増えることだし、できる限りこの広さ、このきれいさを保てるように住みたいのだが。

家具の配置、持ち込む荷物等に関して、今後も引き続き夫婦バトルが展開される予感・・・。

 

よく光が入り、こうして青空が眺められるのは、なによりの贅沢。

よし。荷物運び頑張るぞ~(もちろんお腹の調子をみながら・・・)。  


Posted by ぶるーな at 08:04Comments(4)

2009年12月13日

ブラジル家族旅行記③。

 マリンガ行きの夜行バスに、なんとか乗り込めた私たち。
ぎりぎりの座席交渉だったため、家族となり合わせの席は確保できなかった。
夜行バスは全席指定なので、乗客はチケット購入時に自分の好きな席を指定するのだ。
というわけで、飛行機のときのように主人がお隣さんと座席交渉を行なって家族隣り合わせに座ろうと試みるも、失敗。
たいてい窓側が人気があるので、かろうじて空いていた席は通路側。みんなシートを思いっきり倒して熟睡体制に入っているため、いまさら席を交替してくれる確立は低いのだ。主人と私は通路を挟んで斜め並びに座ることになった。ま、それでも子どもたちは抱っこなので、気をつければお隣さんの邪魔をすることなく過ごせるので大丈夫。
 私は二女を抱っこしながらなんとか眠ろうとするが、まだ時差ぼけのため眠気がやってこない。幸い子どもは乗り物に乗ると揺られて気持ちよく眠ってくれるので助かる。

 2.3時間走った頃、長女を抱っこしていた主人が座席から立ち上がって、リュックの中からなにかゴソゴソ取り出し始めた。クーラーが効いて少し寒さを感じたため、大人用のシャツを取り出して娘にかぶせてあげようとしていたのだ。
 微かな明かりはあるが、夜行バスの中はけっこう暗いので、主人は手元を明るくするために自分の携帯を使っていた。画面を明るくしてそれをライト代わりにし、リュックをいじっていたその時。
 けたたましいサイレン音が突如鳴り響いた。

 「ウィーン、ウィーン・・・・!!」

と鳴っている音の発信元は、主人の携帯。
 携帯についている「防犯アラーム」の音であった。誤って押してしまったらしい。
 乗客4.50人はいるであろう夜行バス、そしてそのほぼ全員が寝静まっている夜行バス。
 そこで大音量で鳴り響く携帯のアラーム音。

 主人は最初何が鳴っているのかわからない様子であったが、自分の携帯からその音が出ていると知りあわてて電源を切ろうとするが、この防犯アラームの解除には暗証番号なるものが必要で、運悪く主人はそれを知らなかった。
 私は以前、二女が携帯をいじっていて偶然このアラームを鳴らしてしまったことがあり、そのときに解除方法を覚えたということがあって、暗証番号も知っていたため主人に冷静にそのことを伝えようとするが、当の主人がパニックに陥り、落ち着いて携帯の操作をすることができない状態。さすが防犯アラームで、その音量といったらすごいし、そう簡単には音を消すことができない。さすが日本の携帯AU様。

 時間にしたら数秒間だったであろうが、寝静まる満席の夜行バスのほぼ中央でこの大音響を響かせているという状況下では、なんとも長い時間に感じられる。自分の手中で鳴り響く携帯に狼狽した主人がとった行動は、携帯をリュックの奥深くに入れ、携帯をタオルなどで巻き、できる限り音を遮るという対処方法であった。
 これでだいぶ音は静まったが、それでも微かに「ウィーン・ウィーン・・・」とリュックから漏れてくる音。
 ちょっと落ち着いた主人に、再度アラームの解除方法を口頭で教えるも、もう主人はリュックから携帯を取り出す気はない。
 主人のすぐ後ろの席の男性が、「何か手伝おうか」と声をかけてくれたが、何もしてもらうことはない。幸い誰一人「うるさい!」と怒鳴る人もなく、皆静かにアラーム音が鳴り響く状況に耐えて下さっていた。

 長時間走る夜行バスでは、3.4時間おきに「トイレ休憩」があるので、時間的にそろそろ停車するはずであった。
 そのときにアラーム解除を試みるしか、残された方法はなかった。

「はやく休憩場所に着きますように・・・」
このときの私たち夫婦の願いは、ただそれだけであった。
 
 約30分後、待ちに待った休憩場所に到着。
 音のするリュックと子どもたちを抱えて、真っ先にバスから降りる。
 リュックから取り出した主人の携帯は、変わらず元気にアラーム音を発信中。
 私が暗証番号を押してみると、思い通りにアラームは鳴り止んだ。
 パニック状態だった主人がやっと落ち着いて、この状況を振り返る。

 主人は携帯が何かに反応して壊れてしまったと思ったらしい。私が防犯アラームの意義や解除方法を伝えると「知らなかった・・・」とのこと。しかたがない。普段使わない機能だし、これからも使うことは滅多にないであろうから。それでも私からしたら、もうちょっと落ち着いて私の指示を聞いてくれていれば、すぐに音を消すことができたのに・・・と思う。
 しかしまだちょっと自分のやらかしてしまったことを消化しきれない主人が言ったのは、
「このリュックがあってよかった」であった。

 最近購入したリュックは、軍人さんも使うような頑丈なものらしく、主人のお気に入りだった。
 自分のミスで皆が寝静まる夜行バスの中で大音響を発したという事実に対する反省よりも、いかに自分のリュックが防音に役立ったかを称える主人。

 まだ現実を直視できないんだろうな~。それだけショックが大きくパニくってしまったということ。
 こういうとき、賢者の妻は何も言わずにただ夫の話を聞き、心の中で思っている本音は口には出さないのだ。
 主人が冷静さを取り戻すまで、主人の心に寄り添い、「そうだね、このリュックがあってよかったね~」と共感の意を表わすのが、最もよい方法であり、実際にそれは効果をもたらしたのであった。

 約20分の休憩後、夜行バスは再び走り出した。
 今度こそ ゆっくり眠ろう 夜行バス。
 
 早朝6時半、懐かしいマリンガのホドビアリア(バスターミナル)に到着。
 あ~、長かった。

↑長女の後ろが、今回のアラーム事件の舞台となった夜行バス。

↑はだしの二女。次の問題は、この子の靴をどこで購入するか・・・。

は~。これほど長いサンパウロからマリンガの旅は初めてかも。

とにかく無事に?着いたことに感謝。

この後はいよいよ和順会でみんなとの再会!!

・・・続く・・・  


Posted by ぶるーな at 06:58Comments(4)

2009年12月09日

ブラジル家族旅行記②。

サンパウロのグアルーリョスに到着し、義母の待つ家へ向かう。
主人のお姉さんのご主人の弟さん(長っ)が、タクシーの運転手ということで、そのタクシーに乗せていただく。
通常だったら空港から1時間半ほどで母の家に着くはずだが、平日だというのに道路が大渋滞。(これでオリンピック時は大丈夫か?!と余計な心配をする・・・)
暑さと疲れで子どもたちもぐったり。私もいつの間にか眠ってしまっていた。
義母宅に着いたのは、2時間半くらいかかっただろうか。
とにかく無事着いてホッ。

2年前は、まだ割と元気で行動範囲もそれなりに広かった義母。
だが、今回は足の調子が悪く、私たちを迎えるために玄関先まで歩いてくることもできない状態。
「足が痛くてね、ごめんね」と謝る義母。
台所に立つこともほとんどなくなり、今は近くに住む主人の姉が義母の世話をしているとのこと。

おおよそ電話で状況を聞いてはいたが、義母が実際に弱っていく姿を見るのはちょっとつらかった。
なおさら主人はショックだったろう。「2年に一度のブラジル旅行」の我が家の計画を、急遽「1年半、もしくは1年に一度」に急遽変更することを宣言していた。今回なんと13年ぶりブラジルに帰ってきた主人の妹さんにも、やや強引にこの計画に賛同するよう促していた。

離れているだけに心配だし、「顔を見せる」というのが何よりの親孝行に違いないのだから、ぜひとも毎年のように帰ってこれるようにしなければ(・・・生活はさらに切り詰めることになるが。。。)。

そんな義母宅で、さっそく昼食をごちそうに。
(時間はちょうど現地のお昼時間)

姉が作ってくれた「フェイジョアーダ」。

お肉とお豆を煮込んだブラジルを代表するこの料理。

ブラジルで食べるブラジル料理はやっぱりおいしい。
特に主人の食べっぷりと言ったら。
最近胃の調子が悪いと言って薬を欠かせない状態なのに、このフェイジョアーダは3回もおかわり。
よっぽどおいしかったのだろう。よっぽど嬉しかったのだろう。

お昼を済ませて、シャワーの順番を待つ間ちょっと横になっていたら、そのまま熟睡。
なにせ日本とブラジルの時差は11時間(今は夏時間なので。そうでなければ12時間)。
昼と夜がひっくり返った状態なのだから当然と言えば当然。
この時差ぼけを早く解消するためには、昼間眠くてもできるだけ起きて夜に眠るようにしたほうがいいのだが、毎回そう簡単にはいかない。

私と主人が爆睡している間、子どもたちは姉や母が遊び相手をしていてくれたよう。
夕方やっと起きることができ、あわててまた出発の準備。
この日の夜には、夜行バスに乗ってマリンガに向かう予定なのだ。

マリンガはかつて私がJICAのボランティアでお世話になった老人ホーム和順会があるところ。
結婚してからは、家族ともどもお世話になって、特に二女の出産前後にはそのホームに住まわせていただいたのだった。
まさしく私にとって第二のふるさと。

サンパウロで義母と主人をゆっくりさせてあげたい気持ちではあったが、まずはマリンガで用を済ませることを優先。一緒に来た妹さんは、その間母娘水入らずの時間を過ごしてもらうことに。

マリンガまではバスで8時間。
夜9時45分のバスに乗って、翌朝6時頃に着く予定であった。

しかし、義母宅からこのバスに乗るためバスターミナル(バハフンダ)まで移動する市内バスがこれまた渋滞に巻き込まれてしまい、バハフンダに着いたのが9時50分。完全に乗り遅れてしまった。
しかもバスから降りたら、二女が履いていたはずの左足の靴がない。
かたっぽだけ、市内バスに落っことしてしまっていたのだ。

ぐっすり眠る片足はだしの二女を抱え、眠そうな長女の手を引き、「もしマリンガに行けなかったらどうしよう・・・」と不安で青ざめる私。
実は私たち家族のために、ホームの皆さんが翌日イベントを予定して待ってくれているのだった。
一日でも遅れてしまったら、大変なご迷惑をかけてまう。なんとしてでもマリンガに行かなくてはならなかったのだ。
ここで頼れるのはやっぱり我が家の大黒柱のパパ。
夜行バスは場所によっては一日数本が出ている。サンパウロ⇔マリンガも確実に2.3本はあるはずであった。
チケットの確認に主人が走る。
子ども二人とスーツケース2個を守りながら、「どうかバスがありますように・・・」と祈る。

10分ほどして、主人が戻ってきて10時15分発のバスがある。でも席が空いているかどうかまだわからない。とりあえず行くぞ!
と猛ダッシュ(と言っても、チビ二人とスーツケース2個と8ヶ月の腹ではたかが知れているが)。気持ちだけは全力疾走。

10時10分ごろ、15分初のバスの前に到着。
ほとんどの乗客がすでに席に着き、数人が大きな荷物を荷物置き場に入れているところ。
主人が係りの人とやり取りし、出発時刻ぎりぎりになんとか2席を確保!
主人は長女を抱っこ、私は二女を抱っこして、なんとかマリンガに向かうことに成功。

あとは8時間ゆっくり眠って移動し、無事にマリンガに到着するのを待つばかり。のはずであったが、この数時間後、皆が寝静まる夜行バスの中で前代未聞の事件を主人が起こすことになろうとは、このときは知る由もなかったのであった・・・。

続く。
  


Posted by ぶるーな at 07:08Comments(5)

2009年12月06日

FC琉球のブログデビュー?!

ブラジルに行く前に、新都心にあるFC琉球のショップに。

そちらのスタッフさんが、ウチのチビたちの様子をブログでUPしてくださった。

こちらからどうぞ⇒。FC琉球スタッフブログ

また遊びに行きま~す♪  


Posted by ぶるーな at 11:54Comments(0)