2009年01月13日

Que descanse em paz。

私がJICAのボランティアをしていたブラジルの日系老人ホーム。
40名ほどの日系1世2世が暮らしている。

老人ホームなので、ほとんどの人がそこで人生の最期を迎えることになる。

実際私がボランティアをしていた2年間の間にも7人ほどお亡くなりになった。

「家出」をしてホームに自ら入所してきたKさんは、たしか90歳を超えていたけれども入退院を繰り返しながらも亡くなる前日まで、気丈にも自分で歩いてトイレに行っていた。
すーっと眠るように息を引き取ったKさんと私が過ごした時間はわずか数ヶ月だったけれども腰を曲げて歩く姿や、細い目をさらに細くして微笑む彼女の笑顔を私は鮮明に覚えている。

お誕生会の当日に転んで出血。おでこに大きな絆創膏を張ってお誕生席に座っていたTさんは、いつもプラスチックの椅子を歩行器代わりにしてお部屋を歩いていた。よく転び、よく怪我するのでいつもハラハラだった。その日は入浴中に意識を失い、お医者さんを呼んだときは意識を取り戻していたけれども、私が血圧を測っている最中に呼吸が止まった。蘇生を試みたが帰らぬ人となった。

認知症が進み、自分のお部屋やベッドがわからなくなっていたSさんは、ときどき入れ歯を上下逆さまに入れようとしたり、夜のトイレの後に他人のベッドに間違って眠ってしまったりと、ひとつひとつの行動にちょっとした声かけが必要な方だった。しかし決して怒ったり抵抗したりということはなく、いつも穏やかにたんたんと日々を過ごし、最期も彼らしく静かに天国へと旅立った。日本で生まれ、彼と同じ移民船に乗ってブラジルへ来たという同船者のYさんも、私が2度目にブラジルに行ったときにはもう亡き人であった。


 ちょうど1年前、2度目のブラジル滞在から戻ってきた私のもとに届くお知らせは、「○○さんが今日・・・」という悲しいお知らせが少なくない。年明けにも続けてお二人の悲しいお知らせが届いた。

「いつかまた会いましょう」

そう約束して別れたあの日には、「これが最後の別れ」などとは思えなかったし、思いたくはなかった。

でも、人生70年、80年を生きてきたお年寄りたちに残された日々は決して多くはないのは当然のこと。

だからこそ、生きている今、一緒に居る今、共に過ごすその時が、かけがえのない貴重な時間であることを忘れないでいたい。

K枝さん、M子さん、A子さん。

ありがとう。たくさんの思い出を、ありがとう。
1世だった皆さんの苦労は、決して無駄ではなかったはず。

どうぞ安らかにブラジルの大地でおやすみ下さいね。。。




Posted by ぶるーな at 22:21│Comments(2)
この記事へのコメント
Zはビデオを撮るのが好きです。昨晩鹿麻呂センセの誕生日ビデオを見たらKエさんが居ました。元気にCozinhaのAjudarしてました。先日撮ったばかりの写真を現像したらM子さんが出てきました。A子さんを前日慰問された私の友達。『つい昨日までは…』。
思い出だけが心に残り、それが私の心を反対に苦しめます。
一日一日を大切に。何か相手の為にできることをしよう。と、思っているのですがなかなかですね。
Posted by マリンガエンセ at 2009年01月14日 08:34
ひとりひとり、個性があって思い出深い皆さんでしたから別れはなおさら辛かったね。
またWajun会の皆さんに笑顔が戻ってきますように・・・。元気だしてね♪
Posted by ぶるーな at 2009年01月17日 12:09
 
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