2017年01月08日
Feliz Ano Novo 2017!!
2016年12月25日
おかあさんといっしょ。
2016年08月06日
ブラジル三人旅⑥。
2016年05月22日
ブラジル三人旅⑤。
2016年02月15日
ブラジル三人旅④。
明日の朝、リオデジャネイロに向かう早朝のバスに乗るため、早めに就寝。
といっても、時差ボケ真っ最中の三人。
寝たり起きたり、とにかく体を横にして、夜の暗い時間は眠る努力をする。
朝、ちょっと気分が悪そうだった長女は、初日から大好きなお洋服を買ったりして、
すっかり元気。
ほっとしたのもつかの間、添い寝している2歳の長男の体が、熱い。
全身が、湯たんぽ状態。
これはまずい。
何といっても、明日の朝は早起きして、6時出発のバスに乗らなければいけない。
3人のうち、誰かが体調不良だと、日程が狂ってしまう。
何としても、この長男の熱を下げなければならない。
私がこれまで体得した育児の知識と知恵を集結し、
まずは、この熱が何なのかを診断。
咳、鼻水を伴っていないことから、風邪ではない。
環境の急激な変化によって引き起こされた、一時的な発熱であろう。
ということは、汗をかけば、さっと熱は引いていくはず。
熱を測りたい気持ちはあったが、
ここで義母や義姉に「体温計貸して」と言い、
実際に2歳の長男に38度もの熱があると知られた時にゃ、
絶対に「ポスチンニョに行かなきゃ!」
「明日リオは行かないほうがいい」
と、言われかねない。
はい。
わかります。
病気の子どもを連れて、長旅などできませぬ。
が、しかし。
今回のブラジル3人旅の目玉は、リオ観光なのだ。
予算がないにもかかわらず、ブラジル人の主人でさえも行ったことのないリオに、
どうしてもいかなければならない理由が、私なりにあるのである。
それは、長女に「リオ」を見せたかったこと。
ブラジルを、もっと身近に感じてもらいたかったこと。
きっと来年(もう今年)のリオオリンピックで、
ブラジルは注目される。
テレビにもよく映るであろう。
その時に、
ブラジル国籍も持ち、ブラジルの名前もついている彼女が、
ブラジルに興味を示さなかったら、私はさびしい。
これまでのブラジル生活や旅行の経験はあるが、
幼すぎた彼女の記憶に残っているブラジルは、少ない。
でも今回、彼女は10歳。
しっかり、体験を記憶に残せる歳になったのだ。
2歳の長男の面倒もある程度任せられる、頼れるお姉ちゃん。
彼女に、オリンピックの開催地リオデジャネイロを、知ってほしい。
きっとそれが、彼女のアイデンティティの構築にも欠かせないはず。
リオオリンピックが始まるその前に。
とにかく、リオにいかねばならないのだ。
3人のうち、一人でも体調不良だと、日程が狂う。
リオ滞在予定は一泊のみ。
明日の朝までに、なんとしても、長男の熱を下げなければ。
私のこれまでの育児経験の知識と知恵を集結し、
長男の熱の原因を診断。
咳や鼻水の風邪症状は見られない。
きっと環境の急激な変化に伴う、一時的な発熱であろう。
決して、重篤な病の兆候ではない、、はず。
ということで。
添い寝している長男を抱きながら、
私の祈祷が始まる。
「大丈夫大丈夫。下がる下がる。熱は下がる。」
「汗かけ汗かけ。」
数時間後、思った通り、額や背中にじんわり汗が。
よしよし、この調子。
汗をタオルでふき取りながら、だんだん熱が引いていくのを感じ取る。
今37度台。
体温計などなくとも、母にはわかるのだ。
そして、すっかり汗をかき切った長男。
何事もなかったかのように、お目覚め。
よし。平熱。
ミッション、クリア。
私も、何事もなかったかのごとく、リオへの旅支度。
誰にも悟られることなく、
この一晩の闘いを征した、なんとも言えない達成感。
きっと、ひどい母親と思われるかもしれない。
しかし、これくらいでオドオドするなら、
誰が母一人で、ブラジルまでこんなおチビを連れてくるものですか。
大丈夫。
この、自分でもあきれるほどの、根拠のない自信。
それが私を動かしてしまうのである。
朝5時前に義母宅を出て、地下鉄に乗る。
ブラジルらしくない、綺麗すぎる地下鉄。
ほら、子どもら元気♪
サンパウロから長距離バスで、約6時間でリオに行ける。
ブラジルの感覚では、6時間のバス移動は短いほう。
途中一回、休憩。
車窓から見るリオは、工事中のところが多い。
オリンピックに向けて、いろいろ整備中のようだ。
頑張れ~。働け~。
ほらほら、リオだよー、と声かけするも、時差ボケ中の子どもらは爆睡。
狭い車内で、よく眠るわ。
心配していたお天気も、悪くない。
リオに着いた瞬間の、むわっとした空気。
これぞ、ブラジルの夏。リオの夏。
私にとっては三度目のリオ。
治安の心配はあるけれど、何といっても主人の長女Kちゃんが一緒だから心強い。
Kちゃん、よろしく~。
さー、楽しむぞ~。
・・・続く・・・
2016年02月06日
ブラジル三人旅③。
ブラジルのおばあちゃん。
年々、歩くことがむつかしくなっているけれど、
頭はクリアーなお義母さん。
久しぶりの再会を喜んで。
おばあちゃん家の敷地内で、しばし散策。
なぜか写真が回せない・・・。
これも横になってまう。。。
お義母さんは、近くに長女夫婦が住んでいて、いろいろ身の回りの世話をしてもらっている。
お義姉さんは、食事からお風呂から、
いわゆる介護全般を担っているけれど、
全然大変とか、いやだとか、疲れるとか。
そんなこと言わず、自然にお世話してる。
ほんと、頭が下がる。
私たちが来て、さらに手がかかるのに、
あちこち連れて行ってくれたり。
長男は、いつも両手に花状態で。
ぶらんこ~♪
お義母さん、お義姉ちゃん夫婦、主人の長女Kちゃん。
みんなが温かく迎えてくれるから、いつ行っても安心なブラジル。
治安は悪いけど、精神的な治安は日本よりはるかに安全♪
と断言しよう。
翌日は、さっそくお土産を買いに街中へ。
25 de Marco 通り。 3月25日通りという、
日にちが通りの名前になっているのが多いブラジル。
カメラを出すのは、ちょっと勇気がいるエリア。でも撮る。
日本人街。リベルダージ。
ここでも、ぶらんこ~♪
三人旅の証拠写真♪ 地下鉄駅の近くにて。
歩いて疲れて、近くのBARで休憩。
ここで、ちょっと面白いの発見。
鳥居がシンボルの、リベルダージ。
でも、よく見ると・・・
△トモタチ 〇トモダチ 惜しい。。
△リベダデ 〇リベルダージ(ダ) 惜しい。。
こういうちょっと残念な日本語訳にも、よく出くわす。
街角のお巡りさんと。壁の落書きがすごい・・・。
ちなみに義姉の旦那さんも警察官。
なので、この制服なんだよー。とのこと。
道端では、いろんな食べ物も。
トウモロコシのスイーツ屋さん。
甘く加工してあるのがおいしいのだが、
日本の感覚で、茹でただけのトウモロコシをわざわざ買ってみたら。
味、薄っ。
やはり、甘く加工するわけだ。
でも、甘すぎるんです、日本人には。
このリベルダージは、私にとってかなり思い出の場所。
なんといっても、初めてブラジルに来て、1週間宿泊したこちらのホテル。
日系パラセホテル。
ブラジル派遣のみんなで、まずこのホテルに泊まって。
ここから、それぞれの地に旅立って2年間。
とにかく、緊張とホームシックと期待と不安と・・・。
たくさんの思い出を仲間と共有した場所。
当時より、ちょっときれいになった感じがあるも、ほぼ一緒。
青ボラの皆さん、懐かしいでしょ~。
ブラジル三人旅の始まりは、無事にスタート。
実は、この日の朝、長女が気分悪いと言って嘔吐。
でも、これも毎度のことなので、あまり気にせず。
どうしても子どもらは食事がガラッと変わるし、時差ボケもすごいので、
旅の初めは体調を崩しがちなのだ。
長女は出すもの出したので、その後すっきり。
買い物を十分楽しめた。
よしよし。この調子。
明日はいよいよ、リオ!
と思っていたら、その夜もう一人の我が子に異変が襲う。
さて、どうなる?
~続く~
2016年01月23日
ブラジル三人旅②。
特筆するほどの出来事もないほど、安心できる旅。
多少、長男が元気すぎてはしゃぐので、周囲に迷惑をかけないか気を遣うことはあるのだが。
ひとつ驚いたというか、いや~な感じだったことが。
長男がちょっと泣いたりぐずったりすると、
すかさず
「しーーーっ」
という乗客がいたのだ。
気のせいかと思ったが、長女も気づいて、目を見合わせたので間違いない。
私には、2年前、飛行機で4時間泣き続ける乳児の相手をしたという
輝かしい実績がある。
そのときも、周囲のほとんどの人が親切だったから(一部のCAにはいやな思いをしたが)、
最初は耳を疑った。
誤解を恐れずに言わせてもらうが、
たったこれくらいのちびっこのくずりで、
「しーーーーーっ」
てなことをするその大人の器の狭さが、ほんとに情けない、と思う。
確かに、機内での子どものぐずりは耳障り。
しかし、その子の親は、ありとあらゆる方法で、
我が子が周囲にご迷惑をおかけしないように、神経をとがらせているのである。
「しーーーーっ」ってやって2歳児がおとなしくあんな狭い椅子に10時間も座ってられたら、
なんの苦労もない。
機内食食べるのも、どんなに最新の注意を払っても、絶対にこぼす。
自分の席に座ってくれればいいのに、
必ず私の膝に座って食べるという。
もしくは、姉ちゃんのところがいい、という。
狭い機内の3シート分を、いったり来たり。
ゲームの画面も、
「アンパンマンがいい~!」と、ブログラムにないものを要求。
運よく、アンパンマン系の動物キャラいっぱいのお着換えゲームを探し出し、
コントローラーでカチカチやって喜ばせようと思うも、
そのコントローラーに興味を示し、手加減なくひっぱったり、叩き付けたりする。
数分、数秒ごとに変わる2歳児の予測不可能な要求に、
できうる限り対応しようと、こっちも必死。
すべては「周囲の皆様にご迷惑をおかけしないため」
なのだ。
だから、
「しーーーーーっ」
って子どもを制止しようとするお方に対し、
本当にがっかり、という気分なのだ。
ま、あまり気にしすぎたら、飛行機から親子共々飛び降りるしかないため、
基本、気にしない。
申し訳ない、と思うが。
ごめんなさい。
同じフライト、かつ近くの席になってしまった稀有なご縁。
しばしご辛抱御願い上げ奉る。
そんなこんなで、
特筆すべきこともなき、10時間の空の旅♪
無事、ブラジル・サンパウロ到着。
手荷物を受け取り、
グアリューリョス空港の、いつもの、あの風景を思い描いていたのだが、
なんだか違う。
なんだか、新しい。
全てが。
あれ?あれ?
と思いながら、スーツケースと子どもらを引き連れて外に出ると、
予定通り、義理姉夫婦とKちゃん(バツイチ主人の長女ちゃん)が出迎えてくれた。
違った風景だったのは、
新しいターミナルから出てきたから。
去年のワールドカップや、リオ五輪のために、
空港を拡張しているのだった。
たぶん、去年W杯の時にブラジルに行った主人から聞いてたかもしれないが、
実際自分の目で足で実感しないことには、記憶にも残らない。
ブラジルに到着し、
できればゆっくり空港で記念撮影などしたいと思うのだが、
いつも空港からは、足早に去る。
危ないからだ。
一度、こんな実話を聞いたことがある。
日本から帰ってきた日系人を、
空港からずっと後をつけて、
家に着いたところで、強盗。
確か命も・・・。
だから、あまり目立たないように、日本人だと思われないように
(外見はどうしてもごまかせないけど)
ささっと、行動したほうが良いのだ。
義理兄の運転する車にのり、車中でやっとカメラを取り出す。
長雨が続いていたという、ブラジル。
着いた日は曇り空だったが、お天気は良くなったほうだという。
ブラジル=真夏の太陽
みたいなイメージを、いまだ持ってる私には、ちょっと残念。
でも、今回の滞在時間は2年前と違い、長い。
きっと、これぞブラジル、というあの暑さを味わえるはず。
そんな期待を胸に秘め。
サンパウロのお義母さん宅に着くころには、お天気もちょっと回復。
2年ぶりの、ブラジル滞在の、はじまりはじまり~。
~続く~
2015年12月14日
ブラジル三人旅①。
何度も見に来てくださった皆様、すみません。
ぶるーな家、皆元気でございます。
さて。
小学5年生の長女と2歳3か月の長男を連れて、
2年ぶりのブラジルへ。
2014年12月25日
近況報告。
いつも楽しみにしてくださっていた皆様、すみませんでした。
本当は毎日のように「ブログしたい」と思いつつ。
まったくもって、ゆっくりとパソコンの前に座る時間が作れず。
正直今も、1歳4ヶ月になる長男が「だっこせよ」とせがみ、
パソコンの前に伸ばした私の腕をつかんでよじ登り、
私が腰掛けている椅子のわずかな隙間を土台に立ち上がり、
パソコンのキーやマウスに興味津々で触ってくるため、
何度も何度も中断したり、打ち直ししたり・・・
という状況の中、
意地でも今日はブログ更新してみせるぞ、と決意を持って
臨んでいる。
これほどまでがんばらないとブログ更新ができなくなるとは想定外で。
自分の中でストレスが溜まっていくのを自覚しつつ、
どうにもこうにもできない日々が続いていた。
しかしながら、おかげさまで、子どもたち4人は元気にすくすく成長。
数日前、久しぶりに主人と私の休みが祝日と重なったため、
家族6人でお出かけ。
浦添市港川の外人住宅街で、お気に入りのお店にGO。
まずは木のおもちゃのお店、カーサマチルダ。
温かみのある木のおもちゃでおもいっきり遊べるし、
かわいいグッズがいっぱいで、時間を忘れてしまう。
実はクリスマスのプレゼントをサ○エーで選んていたのだが、
どうしても1歳の長男には、質のいい木のおもちゃをプレゼントしたくなった。
お姉ちゃんたちは、もう自分であれこれほしいと具体的に要求してくるようになっちゃったので。
もうすぐ1歳5ヶ月の長男。初めて来店。
長女と二女は、2回目。小学生も十分楽しめる。
こんなおもちゃがお家にあったらな~。
このあと沖縄そばを食べ、
長女がどうしても行きたいと「オハコルテ」へ。
実は私も行きたかった。
が、問題は主人。
ウチのご主人様、100円以上するものはすべて「高い」と敬遠する。
そのため、ちょっとお洒落めな雰囲気の店には滅多に行かないし、
私が行くのも「ぜいたくしてる」と嫌う。
先日はパパに内緒で、長女と二女と三人でオハコルテデビューしていたが。
意を決して、家族みんなで入店。
幸い席も空いていたし、思ったよりパパが抵抗を示さなかったので。
やっぱり女子らは幸せ♪
お店の雰囲気がいいんだな~。
クリスマス、ということで。
ママは自分にご褒美。
ごちそうさまでした♪
さて、年末。
本当に忙しい師走。
再度更新できるかどうか自信がないので・・・
今年も皆様、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします!
Feliz Natal e Feliz Ano Novo!!
2014年05月04日
GW前半。
不規則な勤務の主人はこの日お仕事。
ということで、私一人で4人を楽しませなきゃいけない。
お天気がいいので、海に行きたい私。
だが子どもたちは、あまり海好きじゃない。
が、絶対にこの日は海辺で遊びたくなるに違いない。
念のため、着替えとタオルを密かに用意して、出発。
海に近いサ○エーでお買い物をした後、子どもたちに海行きを提案。
意外にも「いくいく~」と、乗りのよい返事。
A&Wのテイクアウトを持っていき、噴水横のベンチでお昼を食べて。
海に向かう前に、まずは遊具でお遊び。
長男はベビーカーでおねんね。
公園で思いっきり遊ぶと、みんないい顔。
長女、定番スマイル。
二女、前歯欠けスマイル。
三女、天然スマイル。
そして、いよいよ海へ。
ちょうど干潮で、遠くまで干潟が。
これは海の生物と触れ合うチャンス。
だが、私一人で4人を連れて、岩ゴツゴツのエリアに行けるのか。
とにかく、安全第一で、行けるとこまで行ってみよう。
ベビーカーに長男を乗せ、
三姉妹は、できるだけ離れないよう指示し、いざ出陣。
海に向かって緩やかな坂道があり、可能な限りベビーカーを押していく。
しかし琉球石灰岩?のゴツゴツした道は海に近づくにつれ、しだいに荒さを増す。
ベビーカーのタイヤが落っこちそうなところで、一時停止。長男を抱っこ。
三姉妹はどんどん前に進んで行く。
「転ぶなよ~」「落ちるなよ~」「遠く行くなよ~」と、
大声を張り上げつつ、私も慎重に前進。
そしてついに、潮溜まりに到着~。
「何かいるはずよ~。探してごらん」
普段は気持ち悪がって生き物を避ける長女も、積極的に動き回る。
よしよし。海って楽しいんだぞ~。
水槽でよく見る、ルリイロスズメダイが見え隠れ。
それを見つけて覗き込む3人。
「何かいないかな~」
このあとエビを見つけたと、大興奮の二女。
この後水の中に足を突っ込み、靴びしょぬれの三女。
しばらくこの位置に留まって、じっくり観察。
ほ~ら。海って楽しいでしょー。
この後、やっぱりビーチに行くという3人。
足だけだよ~。三人離れるなよー。と言い渡し、遠くから見ていたが。
走ってきて・・・。
「服ぬれてもいい?」「髪もぬれていい?」
足だけ、と思っていたので、小さいタオルしか用意してないが。
もうこの状態じゃとめられないと判断し、全身浸水許可を出す。
私は長男を抱っこして、波打ち際で3人の様子を眺めていたが、
「お子様のみの遊泳は禁止ですー!!」
と後方から大音量の放送が。
間違いなく、私だわ。
すみません。
ちょうど海水も徐々に増え始めていたので、撤退。
次は長男も一緒に入るとするか。
とりあえず、無事に水遊び終了。
子育て中、封印している私の夢がダイビング。
誰か一人でも、海に興味持ってくれたら一緒に潜りたいんだが。
現在のところ全く賛同者なし。
せっかく沖縄に住んでるのに、ね。
いつの日か、もっともっと家族で海を楽しめますように。
後半のGW、何ができるかな~。
2014年04月09日
うれしいこといっぱい。
まず、二女が幼稚園卒園。
そして、小学校入学。
お釈迦様のお誕生日だった8日、感謝の灌仏。
そしてこの日。
姉が第一子となる、長男出産。
仏教国タイで、元お坊さんと結婚した姉。
ひそかに4月8日に生まれるはずと思っていたら、本当にそうなった。
まさにリトル仏陀誕生。
私には初甥っ子となるBABYの写真はこちらから⇒日笑(ひえみ)ふぁそらしど♪。
三女は3月に、今年2度目の入院。
インフルエンザの熱に伴う、熱性けいれんのため。
3泊4日の入院は長かったけど、すっかり元気に。
今月から、三女は保育園の一番上のクラスに。
長女は早くも4年生。
長男は8ヶ月になり、保育園デビュー。
私は間もなく育休終了。
主人は相変わらず。
みんな元気。
幸せな4月。
2014年04月09日
愚痴ります。
あまりにも、自分の時間がなく。
心に余裕がなく。
それでも私なりに一生懸命、日々家事育児をこなし。
それなのに、うまくいかないことばかり。
昨日無事小学校に入学した次女だが、
学校でもらったばかりの備品諸々が入った袋を紛失。
次女のせいではなく、私がちゃんとチェックしなかったから。
主人に聞くと、いつものごとく、「自分は悪くない」的態度。
別にあなたを責めているわけじゃなく、どこで失くしたかを思い出すために聞いただけ。
主人からすると、私が主人を責める言い方をしているそうだ。
「機嫌を直せ」
という。
私からすれば、
「機嫌を悪くさせる原因を直せ」
だ。
そんなこんなで、口喧嘩。
悔しくて悔しくて悔しくて。
泣きながら、皿洗い。
主人いわく、
私は3人目が生まれてから、変わったそうだ。
いつも機嫌の悪い、かわいくない妻なんでしょう。
変わったかもしれない。
でも、変わらざるを得ないくらい、負荷が大きい。
4人目が生まれて、さらに、だ。
それでも育休中だからと、私なりに家事育児に頑張ったつもり。
主人からすれば、
私が自分ひとりで頑張って、主人の頑張りを認めてないらしい。
そして、私が何も我慢せず、日々暮らしているらしい。
「何も我慢していない」
と言われたときに、本当に悔しく、悲しかった。
私の唯一の趣味とも言える、このブログさえも2ヶ月近く更新してないのに。
毎日毎日、パソコンに向かいたいと思っても、
膨大な洗濯物と食器と、散らかり放題の家の中で
それらを見てみぬ振りして、自分の時間を楽しめない。
だから毎日、掃除して、洗濯して、ご飯作って、子どもみて・・・。
今月から、長男を保育園に預け始めたので、ちょっとだけ余裕がでた。
が、もう来週から職場復帰予定。
ゆっくりすごせるのも、残り数日。
主人に言いたいだけ言って、いっぱい泣いて、
ちょっと落ち着いて、主人に謝って。
そして
「今日はブログ書かせてください」
と、許可もらい(内容じゃなく、時間の)、今パソコンに向かっている。
は~。
いっそのこと、ブログも中止しようかと迷いもした。
「ブログ更新できてない」というのが、私のストレスになってたから。
でもブログ書くことで、いろんなことの整理整頓をしている自分もいるので、
これやめたら、もっと精神状態がぐちゃぐちゃになりそうで。
忙しいなりに、細々でも続けなきゃいけないような気がしてる。自分のために。
いつもブログチェックしてくださる皆さま。
そんなわけで、長いこと更新できずにすみませんでした。
そして、これからも細々ながら続けますので、
どうぞよろしくお願いします。
愚痴ってすみませんでした。
2014年02月24日
二つの国を受け継ぐ子どもたちへ。
ブラジル繋がりの友人N子さんからの電話。
名桜大学で行われる、ポルトガル語の暗唱・弁論大会に参加しませんか、と。
聞けば毎年行われているらしく(今年で20回目)、N子さんもかつて参加したとのこと。
今年はエントリーする人が少なく、誰かいないかな~と担当の先生から話があり、
私に声をかけてくれたのだった。
ポル語の弁論、というだけで、私には縁のないカテゴリーに思えた。
その反面、もし参加するならば、嫌でもポル語の練習するようになるはず、との思いも。
詳細を確認し、A4・2枚の原稿で、題は自由、時間制限もなし、ということで
なんとかなるかな~ととりあえず参加する意思表明。
それが本番当日の約2週間前。
引き受けたからには、頑張らねば。
まずすぐに日本語での原稿作り。
これは二日くらいで完成。
それをポル語に訳す作業。
これが大変。
語彙力も文法力もない私は、一文訳すのに半日かかる。
ということで、頼りになるご主人様に全面的に協力依頼。
夜勤続きできつそうだったが、協力してもらわないわけにはいかない。
数日かけて、推敲を重ねる。
当初訳すと長すぎる原稿になったため、私の覚えられそうな限界の長さにまで圧縮。
やっと納得の内容に仕上がり、主人のお手本スピーチを携帯に録画。
それが完成したのが、本番4日前。
あとはとにかく覚えるのみ。
家事をしている間も、車での移動中も。
子どもらのおしゃべりや泣き声が混じるパパのお手本スピーチ動画とポル語原稿を肌身離さず持ち歩くこと3日間。
本番前日には、自分スピーチする姿を録画し、出来上がりを確認。
というよりも、どれくらいできていないかを認識。
あまりの酷さに、いまさらながら引き受けてしまったことを後悔。
しかし本番二日前には、担当の先生に日本語とポル語の両原稿を送っており、
やっぱりできません、とも言えない。
焦りと緊張感から、胃が痛くなる。
集中したいが、ソチオリンピックも気になる。
真央ちゃんのショートの結果に落ち込み、不安が募る。
でも、オリンピック選手に比べたら、自分の弁論覚えるくらいなんてことない!
と、無理やり関連付けて、とにかく覚える。
フリーで真央ちゃんが完璧な演技をした、あの涙と笑顔をみて、
「そうだ。自分の今できる精一杯をやればいいんだ!」
と勇気をもらい、一気に記憶力スイッチが入る。
もうひと踏ん張り頑張れば、そこそこ形になりそうだと希望の光が見えた前日、
想定外の試練が待ち受けていた。
それは本番前日の朝、三女が喘息の発作。
かかりつけの病院に行き、お薬をもらって帰宅。
ここ数回の発症では、これで治まるはずだった。
が、夕方になっても呼吸が荒く、苦しそう。
これは救急病院行きだと判断し、三女を連れて某大病院に向かう。
まず2回吸入して様子見るも、改善せず。
深夜12時をまわる頃、結局入院を勧められてしまう。
私自身今の三女と同じ4歳から喘息発作で苦しい思いをしてきたので、わかる。
当然三女が元気になるために手を尽くすのが優先。
とにかく早く治ってくれるよう願いながら、頭の中で
「明日のスピーチは無理だな」
とささやく声。
その声に、断る口実ができてホッとする自分と、
せっかくあと一歩のところまで頑張って覚えたのに残念、と思う二人の自分。
そして、今回声をかけてくれた友人の思いと、参加することを喜んでくださった担当の先生をがっかりさせてしまうこと考えると、
私の心は揺れに揺れるのであった。
点滴を受ける三女に添い寝しながら、まだ原稿に目を向ける自分。
やるかやめるか、決断は朝にしよう。
そう言い聞かせて、救急外来で三女と2人眠れぬ夜を過ごしたのであった。
本番当日の朝、入院は決まっていたが救急で駆け込んだ病院が満床とのことで、
別の病院に転院することになった。
弁論大会のスタートは午後2時。
会場は名護市。
移動だけでも片道1時間半はかかる。
逆算すると、出発は昼12時半をこえると間に合わない。
朝9時ごろ、やっと転院手続きの見通しが立ち、移動。
三女以外の子どもたちは、主人とおばあちゃんとで手分けして面倒をみてもらっていたが、
とりあえず転院先の病院に全員集合してもらう。
そこで私は皆に頭を下げた。
「弁論大会に、行かせてください」と。
私の性格を良く知っている主人も母も、何も言わず協力してくれた。
三女の付き添いはパパに。
ゼイゼイは少しあるものの、割りと元気な様子。
なによりも昨晩「パパ~パパ~~」と、
私を差し置いて泣いていたパパっ子三女なので、大丈夫。
残り三名は、私の家でおばあちゃんに見てもらう。
一番心配なのは、6ヶ月の長男。
ミルクは良く飲むので、とにかくお腹が空かないようにしていれば
数時間は大丈夫。
問題は私のほう。まだおっぱいが出るので、しばらく飲まないと
恐ろしくおっぱいがはれて石のようになるのだ。
出発前に、寝ていた長男を半ば無理やり起こしておっぱいを飲んでもらう。
出発予定時刻12時半を過ぎて、あわてて準備。
前日は病院泊まりだったので、シャワーを浴び、着替えて、化粧。
最近あまり着る機会のないワンピースとヒールを履いて、いざ出発。
制限速度ぎりぎりに高速の追い越し車線をひたすら走り、
安全運転を心がけながらも、覚えたスピーチを口ずさみ続ける。
つっかかると不安になるが、もう突き進むしかない。
上手になんて当然できないが、下手でもとにかく最後まで諦めないこと。
そんなことを考えながら、開始5分前に名桜大学に到着。
会場に着いて初めて、弁論部門は私ともう一人であることを知る。
前日に先生がメールで教えてくれていたのだが、メールチェックする余裕すらなかった。
暗唱部門には、名桜大の学生が4名。
そして弁論部門にアルゼンチンからの県費留学生が登場し、私は最後。
恥をかくのには慣れているが、それでもできる限り今できる最高のパフォーマンスを心がけた。
が、やっぱり練習不足。
何度もつっかかり、記憶が飛び、緊張で体が固まる。
それでも搾り出すように、最後の最後まで諦めずにスピーチした。
そして結果。
なんと、優勝(といっても、確率2分の1・・・)。
審査基準が、発音よりも内容重視だったのが私にとっては幸い。
タイトルは「二つの国を受け継ぐ子どもたちへ」とした。
初々しい大学生にまじって、オバサンの強みは人生経験。
ブラジルでの経験のこと、結婚、そして子どもたちのこと。
子どもたちが日本とブラジルの二つのすばらしい国の文化に触れて
幸せな人生を歩んでほしい。
そんな内容でのスピーチだった。
人生初の、優勝カップなるものを手にし、恐縮。
20年の歴史のあるカップで、重みもひとしお。
余韻もそこそこに、また高速に乗って一直線。
まず自宅に戻り、長男におっぱいをあげ、入院中に必要なこまごまとしたものをカバンに詰め込み、病院へ。
すでに時間は夜7時前。
三女は思ったよりも元気になって、プレイルームでおままごと中。
主人に結果を報告し、お礼を言う。
本当は家族みんなでドライブもかねて、名護に行く予定だったのだ。
私が発表している姿も、できれば主人や子どもらに見て欲しかった。
三女の入院によって、いろんな予定が狂ってしまい、一人で行くことになってしまったが。
主人の大いなる協力と理解があってこその、今回の成果。
本当に心から感謝。
終わってみて、正直下手くそすぎて恥ずかしさもあるが、
それよりも、この短期間で、家事&子育てしながらやり遂げた、
という面については、よく頑張ったよと、自分自身に言ってあげたい。
本当に、集中する時間がとれないのだ。
すらすら読めば5分くらいで終わるスピーチだが、
一生懸命覚えようと頭に叩き込んでいるときに、
「ママ~お腹すいた~」「ママ~見て~」「おしっこした~」「&x●5‘:)’4▼2%&’)△!!!!!」
ものの3分と静かになったためしがない。
そんな過酷な環境だからこそ、逆に集中力を保つ修行になったのかも。
さて三女はというと、幸いにも回復が早く
翌日には退院することができた。
一週間前に行われた、生活発表会では元気に舞台に上がっていたが、
実は彼女、家族がインフルエンザにかかっている間の約2週間
ずっと保育園を休まねばならず、発表会直前3日間しか練習に参加できてなかった。
それでも当日は実に堂々と舞台で歌や踊りを披露。
なんだ、私も三女も似たような状況だったんじゃん。
今、気づいた。やっぱり親子だ。
弁論大会まで、いろんな思いをしたけれど。
挑戦してよかった。
そして、協力してくれた家族に、感謝。
Muito muito obrigada! Amo todos muito!!
2014年02月10日
9anos!!
2014年01月26日
オモシロ三女。
これまでは、どちらかというと二女のほうがいろいろ話題を提供してくれていたが、
彼女もだいぶ大人に?なり、落ち着いてきた。
三女は二女に似て、ひょうきんな性格であることに気づいていたが、
かなり言葉を覚えてきたせいか、とにかく笑えるエピソード満載。
毎晩寝る前に、「しりとりしよ~」となるのが、我が家の習慣。
最近はパパが夜勤続きのため、私・長女・二女・三女でしりとり。
二女:じゃあ、はじめるよー。
し・り・と・り
三女:り・ん・ご
ママ:ご・り・ら
長女:ら・っ・ぱ
二女:ぱ・ん・だ
三女:ら・く・だ
ママ:長女:二女: 「ら」じゃないよ、「だ」だよ!
三女:だ・く・だ
・・・
「ら」と「だ」の違いが難しいようだ。
ま、いいか。
こうして、しりとりになってないしりとりが
夜な夜な続くのであった・・・。
それから三女の大好きな、「なぞなぞ」。
三女:パンはパンでも、食べられないパンはなーんだ。
ママ:フライパン!
三女:ブブー×。
正解は~、ねんどのパンでした~♪
ママ:・・・あ、そうなんだ・・・。
三女:じゃあ、ハンバーガーはハンバーガーでも、
食べられないハンバーガーは?
ママ:ねんどのハンバーガー!
三女:ピンポーン♪
・・・
つまり答えに「ねんどの・・・」とつければ、
間違いなく全問正解となるなぞなぞなのであった。
そのことに気づくまで、真剣に答えを模索していた真面目な私・・・。
もうコツはつかんだので、怖くない。
さらにこんなやりとりも。
ある日、ちょっと鼻水が出ていたので、
大事をとって保育園をお休みさせようと三女に話しかけたとき。
ママ:あのね、鼻水が出てるから、今日保育園お休みしよっか。
三女:(どうしても保育園にいきたい三女)
大丈夫だよ。だって保育園にもティッシュあるもん♪
ママ:・・・
そういう問題じゃないんですけど・・・。
そんな彼女の最近の口癖は、
「宿題しなきゃ」。
当然保育園生に宿題などでないが、
小3の長女が毎日宿題に追われて「宿題しなきゃ」と言っているのを、
「字を書くこと」=「宿題」
と思ったらしい。
そうして、一生懸命にひらがなや数字を書き続ける三女。
誰に命ぜられたでもない「宿題」に没頭する三女。
その姿はとても楽しそうで、活き活きしている。
どうか将来本物の「宿題」が出されても、今の情熱のまま取り組んでいただきたい。
2014年01月17日
Aniversario da 3女。
三女のお誕生日。4歳に。
お家で恒例のお誕生会。
2014年01月08日
Feliz Ano Novo 2014!!
3年前に自分のパソコンを買ってから、
写真付きの年賀状を手作りするように。
今年の写真は、昨年11月の長男百日記念のとき、
プロに撮ってもらった写真を使用。
年賀状に使ったのはもちろんみんながいい表情をしているのを厳選。
しかし購入したデータには、日の目を見ないものも沢山・・・。
主役の長男は、3度のお色直し。
ブラジル代表ユニフォーム。長女の1歳記念もこの衣装。
和装。これは神宮會舘さんからお借りしたもの。
見つめ合う母子、の図。
表情やポーズが良いものより、むしろそうでない写真が多い。
例えばこちら。
この頃まだ首が座りきっておらず、疲れると傾く。
実は後ろからスタッフさんが支えて、なんとかまっすぐに(年賀状にはその指がちらりと・・・)。
これもそう。
頑張って首をもたげようとするも・・・
力尽き。
また、人数が多いが故にみんなの集中力を保つのも難。
特に二女&三女・・・。
まっすぐ立ってられない。
しまいには、疲れて眠くて、ぐずる。
長女だけが、抜群の安定したカメラ目線。
さすがモデル志望を公言しただけある。
こちらはかなり良い出来。
カメラマンさんが、かなり面白く。大人が笑ってしまう。
子どもたちだけでは・・・
やっぱり誰かの顔が変。
でもみんなで撮れて、いい記念に。
今年も家族そろって、さらに幸せな年でありますように。
ブログも頑張る所存ですので、
皆様今年もよろしくお願いします♪
2013年12月31日
完・Brasil!!
義姉が空港まで一緒に行ってくれることになっていたが、
義母とはここでお別れ。
約10年前に初めてあった頃は、ゲートボールを楽しみ、
おいしい手料理もたくさん作ってくれた義母。
ブラジルで二女を出産したときには、サンパウロからマリンガまで
手伝いに来てくれるほど、元気だった。
しかし患った難病は、目に見える形で進行している。
室内の移動はできるが、いつ転んでもおかくしくない。
幸い記憶力や判断力など、精神面は以前と変わらずしっかりしているので、
自分でも絶対転ばないように気をつけてるよと笑う義母。
義母のためにも、絶対にまた近いうちに子ども達をブラジルに連れてこなければ。
この旅行中に、あらためて義母の移民人生を聞かせてもらった。
義母には、日本で生まれた4人の兄姉がいたが、
そのうち、一緒に移民船に乗れたのが2人。
日本に残された2人の兄姉の消息も、正確にはわからない。
ブラジルで一緒に育った兄弟姉妹も、他界した。
義母も50代には出稼ぎで日本に働きに行っていたそうだが、
もう2度とは行かれないねと、寂しそうにつぶやいた。
2005年に、「ハルとナツ」というブラジル移民をテーマにした橋田寿賀子のNHKドラマがあったが、
まさにそんな人生を義母が送り、同じように多くの日系移民が送ってきたのだ。
苦労を重ねてきた義母には、これから穏やかに幸せに過ごしてもらいたい。
ソファに座ったままの義母に見送られ、空港に向かう。
時間にも余裕があり、チェックインも問題なし。
義姉が夕食とおやつをかねて、たくさんサウガード(軽食)やパネトネ(クリスマス時期に食べるケーキ)を持たせてくれる。
最後の最後まで、姉が付いていてくれて、本当に心強かった。
ゲートに入り、長男と2人きりになったとき。
本当に寂しくて、泣きそうな気分。
でもここで気合を入れなおし、まずは10時間のNYまでのフライト。
長男もご機嫌よく過ごしてくれた。
泣き喚くこともなく、着陸態勢に入って全員座席に座っている時。
長男のおしりからあの大音量が。
とともに、なんだか膝元に違和感が・・・。
うっそ・・・もれてる...。
こまめにトイレにも連れて行ってオムツ替えてたのに。
着陸10分前に。しかも私のズボン汚すまで。
ベルト着用のサインが点いているので、トイレにも行けず。
まさに途方にくれていたとき、
ちょうど斜め前に座っていたCAが、異変に気づいてくれた。
私が座っていた席は、ちょうど機内の中央あたりで、
離着陸時だけ座るCAと、向かい合わせになっていたのだ。
CAはさっと立ち上がり、トイレから大量のタオルペーパーをわしづかみにして、
私にどばっと手渡した。
とりあえず応急処置的に、長男のおしりを押さえ、私の汚れた膝のみを拭く。
それ以上のことは何もできないので、とにかく早く着陸してくれと願う。
と同時に、このただならぬ香りが周囲の皆様に届かぬようにと、願う。
着陸後、ベルト着用のサインが消えた瞬間、トイレにGO。
手早くおむつ交換と着替えをし、先ほど助けてくれたCAにお礼を言って飛行機を出る。
はー。やれやれ。
最後の最後、あと10分だったのに。
しかも私の服を汚されるのは想定外。
なんとか拭き拭きして、汚れを落として沖縄まで我慢することとする。
乗り継ぎの際に、一度荷物を受け取るので、そのときにスーツーケースを開き、
長男の着替えとオムツを補充。
先ほど大量に出たので、きっとこの後沖縄まではウ〇はないだろう。
そう予測して、必要最低限の着替えとオムツ数枚だけを取り出し、
再度スーツケースを預ける。
しかし、この読みは甘かった。
NYから成田まで。14時間のフライト。
お隣の席に、長男と同じ生後3ヵ月の赤ちゃんが一緒。
英国紳士のご主人と、日本人の奥さんは、赤ちゃんを連れての初めての旅との事。
お互いオムツを替えたり、おっぱいをあげたり。
ベビーベッドも二つ並べて、おネンネしている時間も多かったが。
ウチの長男、なぜかトイレが多い。
しかも、さきほど大量に出たはずなのに、トイレに行くたびに、ウ〇。
そして何度かお洋服も汚してしまう。
着替えとオムツは最低限しか用意していないので、気が気でない。
とにかく汚さないようにと、きちっとオムツをあて、こまめにトイレにいくも、
何度も大きな爆発音を響かせている。
最後にはお隣の英国紳士もこちらを向いて苦笑い。
「お互いご苦労様です~」
という顔で返事をし、最後の最後までトイレ通い。
思い起こせば、サンパウロの義母宅でやった「おしりこちょこちょ」の効き目?
オムツも激減し、成田空港で買い足すことを決意。
そんなこんなで14時間のフライトを終え、
乗り換えの手続きをしながら、オムツを探す。
私のイメージでは、すぐに売店があって手に入れられると思っていたのだが、
国内線のゲートに入るまでのルートにはたまたま店がなく。
ま、ゲートに入ってからも売店があるだろうからと、楽観的にゲートインしたら、
もうそこにはお土産や軽食を売ってる店しかない。
しまった。
と思ったが、もう遅い。
オムツは全くないわけじゃなく、あと一枚はある。
沖縄までの約3時間。
ウ〇さえなければ、きっと大丈夫。
ただ、沖縄到着時に、すぐに手に入れたいので、
成田から家族に電話。
「悪いけど、オムツ持ってきて!」と依頼。
冷静に考えれば、スーツケースにもまだ残っているので
荷物を受け取ったら問題ないはずなのだが、
極度の不安感からか、とにかく「沖縄に着けばオムツがある」という
確信が欲しかったのだろう。
成田から沖縄までの、この旅最後のフライト。
機内も空いていて、それだけで開放感。
また、国内線なので日本人のCAさんがまるで家族のように見える。
あ~。日本に帰ってきたんだー。
たった一週間なのに、なんともいえない安心感。
3時間のフライトは、あっという間。
CAさんに最後に機内で記念撮影をしてもらったが、
どうしてももう一枚、カメラに収めておきたい場所があった。
それがこちら↓。
失礼。機内のトイレ。
オムツ替え台があるだけで、本当にありがたかった。
最後のオムツで、最後のオムツ替えをして、感謝の記念撮影♪
どのフライトでも、何度もお世話になったオムツ替え台。
実は今回、機内だけでなく、行くところどころのオムツ替え台を記録に残した。
←NYニューアーク空港。
非常にシンプルな台のみ。ベルトやクッション等なし。
←成田空港。
トイレとオムツ交換台が同じ空間にあると、ママ助かる。
ブラジルやアメリカでは、あまりこのタイプない。
変な趣味でこの写真を集めたわけじゃないのだが。
母子2人旅だったので、長男の写真を撮るのもひと苦労。
というわけで、オムツ替えるときだけがシャッターチャンスだったので・・・。
11月23日(土)夜9時すぎ。
沖縄那覇空港に無事到着。
パパと子どもたち、おばあちゃんが迎えてくれた。
ただいま~。
あっという間の、一週間。
めっちゃ濃かった、一週間。
きっと二度とは味わえない緊張感と、使命感を持って臨んだ旅。
生後3ヵ月で、この過酷な旅を元気に楽しんで?くれた長男にまず感謝。
そして沖縄で待っててくれた家族に感謝。
また強硬スケジュールにあわせてくれた、ブラジルの皆さんに感謝。
そして、FBやブログを通して、旅の無事を祈ってくれた皆さんに、心から感謝。
これからも、きっとまたブラジルへ行くだろう。
できる限り、家族みんなでいけたら、というのが本音。
それにしても、やっぱ遠いな~。
Viva BRASIL!!
~おしまい~
2013年12月25日
続×6・Brasil!!
Aさんは、主人によると本当に昔からの近所付き合いだそうで、
主人も子どものころから知っているおじさんとのこと。
私も結婚してから一度ご自宅に伺った記憶があるが、
そのときはご夫婦で生活されていた。
最近奥様に先立たれ、近くに住むお子さんたちが
時々通ってお世話されているそう。
お世話されている、といってもAさんは86歳とは思えないほど
しゃきっとされている。
私が小さい子どもを連れてブラジルに来ていることを義姉がAさんに伝えてくれ、
Aさんが得意なムジカ(music)を披露してもらうことになったのだ。
窓際に腰掛けたAさんが小さな箱から大事そうに取り出したのは、
銀色に輝くハーモニカ。
観客は、私と長男と、義母と、義母の友人。
静かな部屋に、ハーモニカの音色が響き渡る。
長男にとっては初めて聞く音なので、驚いて泣き出さないかちょっと不安だったが、
ちょうどお風呂上りでリラックスしていることもあり、すやすや眠っていた。
私が知っている曲もあり、知らない曲もあり。
10曲くらい演奏してくださった。
若い頃から趣味で吹いているとのことで、「いくらでも吹けるよ」と
さらっとおっしゃった。
ハーモニカは結構肺活量がいると思うのだが、
後半になっても全く音量が落ちず、力強い音色。
86歳のハーモニカ奏者は、自分の子どもたちもハーモニカを聞かせて子育てしたことや
このハーモニカは日本製で息子にプレゼントしてもらったことなどを、
手にしたハーモニカを見つめながら、静かにつぶやくように話してくれた。
観客の私たちは、ただじっと演奏と彼の話を聞いていた。
夕暮れの深まりと、ハーモニカの音色。
詳しくは知らないが、Aさんの移民人生の様々なご苦労が脳裏に浮かんでくるような。
モノクロの映画を見ているような。
そんな不思議な時間が流れた。
Aさんが帰った後、
写真もビデオにも残さなかったことをもったいなく思ったが、
逆にそのほうが、これからずっとずっと私の心に
あの音色が残っていくような気もした。
本当に、あれは一度しか見ることのできない、映画だったのかもしれない。
この日の夜が明ければ、
もう日本に帰る日。
相変わらず、深夜遅くまで眠気がこない。
ブラジルに来て、日本人に会い、日本の曲を聴き。
ボランティアでブラジルに来るまでは、ほとんど興味も関心もなかった日系移民について、
あらためて思いを馳せる最後の夜だった。
翌日。
飛行機は夜の11時。
一日ゆっくり時間はあるが、
あちこち出かけることはせず、荷造りに励む。
ただ一度だけ、義母宅近くのスーパーに買い物に出かける。
今回の旅行中、義姉が一緒に付いていてくれたので助かったのだが、
逆に自分の力で買い物したり、という経験がなかった。
だからどうしても一人(プラス長男)で、ブラジルの町を歩きたかったのだ。
抱っこ紐で長男を前に、リュックを後ろに、右肩にMyバックを抱えて、買い物。
旅行中、まだ食べてなかったマンゴーや、お土産用のコーヒーなどを購入。
日本の超きれいなスーパーの陳列と違い、
明らかに傷んでいる果物や野菜も並んでたりするが、
その中からめげずに良いものをセレクトするのも、楽しい。
手に持てる範囲の買い物のつもりだったが、けっこう大量になってしまい。
両肩に買い物袋を引っさげて、帰路に着く。
疲れはするが、それ以上にブラジルの町の空気が味わえて懐かしい。
お土産が増えに増えて、荷物が増えることを義姉がかなり心配していたが。
私の驚異の詰込術により、預ける荷物をスーツケース+MYバックの二つ。
手荷物をリュックとショルダーバックの二つ、合計4つに抑えることに成功。
これで何とか一人でも、子どもを抱えてでも、なんとかできる範囲。
準備万端で自宅の出発時刻を待っていたが、
ただひとつ不安が。
それは長男のウ〇のタイミング。
こちらに来るときのように、便秘の状態で飛行機に乗ることだけは
絶対に避けなければならない。
ちょっと迷ったが、空港に向かう前に便秘対策。
そんなに長い時間出ていないわけじゃなかったが、
あの便秘で母子共々苦しんだフライトを思い出すと
やらないより、やっておいたほうが正解のような気がした。
綿棒で、おしりをこちょこちょ。
飛行機に乗る約6時間前。
タイミングよく、飛行機に乗る前に出てくれるといいんだが。
いくら我が子とはいえ、ウ〇の時間を正確に予測することは困難。
ただお腹に溜めないことを願うのみ。
後にこれが予想外の効果が出ることになろうとは、
この時は知る由もなかった・・・。
~続く~
2013年12月09日
続×5・Brasil!!
夜の10時過ぎのバスの予定。
乗り遅れないように、早めにバスターミナルに到着。
Kちゃんと彼氏と、和順会の園長先生も見送りに来てくれた。
何もかもスムーズに思われたが、予定時刻になってもバスが来ない。
何かトラブルがあったようで、到着が遅れているとのこと。
ま、そんなに珍しいことではないので、気長に待つ。
ただ見送りに来て下さった園長先生を待たせてしまっては申し訳ないので、
お礼を言ってお別れしようと思っていたが、明日仕事休みだから大丈夫よと
一緒に待っていて下さった。
30分くらい遅れて、やっと私たちが乗車するバスが来た。
待っていた乗客たちが次々に乗り込む。
長距離バスなので、大きな荷物を持っている人が多く、
まずは荷物を預ける。
2年後、もしくはW杯時に再会できることを願って、みんなとお別れ。
いざ車内に入るべく、最終の身分確認チェックを受けているときだった。
一人の女性職員が、なにやら怖い顔で言い出した。
私と長男が本当に親子だと証明する書類がないとダメだ、というのだ。
当然、パスポートも持って提示しているし、私のブラジルでの身分証明書も持っている。
それだけで、サンパウロからここマリンガに来るときには全く問題なかったから、
このひっつめ髪の女性職員が何の提示を求めているのかわからなかった。
義姉が懸命に説明するも、とにかく提示しろの一点張り。
私は長男のパスポートに、ブラジル領事館で証明してもらった
私と主人の名前がちゃんと記載されたページを開いて、
「ここに書いてますけど」と提示した。
が、このひっつめ髪の化粧の濃い女性職員。
「違う違う、これじゃない」
と、ちゃんと見もせず否定してくる。
義姉はパニクって、私のカバンや自分のカバンの
ありとあらゆる書類を取り出し始めた。
そうこうしているうちに、私たち以外の乗客たちは、全員乗車完了。
ただでさえ出発時刻過ぎてるのに、私たちがさらに時間を引き延ばしてしまっている。
もう一度、義姉が強い口調で、
サンパウロから来たときは、これ以上の提示は求められなかったことを主張。
すると、そのときの半券を見せろという。
義姉は幸い捨てずにそれを持っていたので、堂々と提示。
すると、やっとこのひっつめ髪の化粧の濃い無表情の女性職員が、諦めた。
最初から、隣のドライバーの男性はこれで大丈夫って表情してたのに。
バスの入り口で、10分近くこのやり取りで、荷物もひっくり返してめちゃくちゃ。
あふれ出した中身をあわててカバンに押し込んで、いざ乗車。
見送りに着ていたKちゃんや園長先生も、心配そうに見送りスペースからこの様子を見守っていてくれたので、
バスに乗る直前に、思いっきり笑顔で手を振って、大丈夫さをアピール。
薄暗い車内に乗り込み、座席に義姉と腰をおろして、ほっとしたのもつかの間、顔を見合わす。
腑に落ちない怒りがこみ上げてきた様子の義姉は、興奮状態が再燃。
「せっかく楽しいマリンガ旅行だったのに、最後の最後でなんなの。あのオンナ!!」
「これは絶対クレームしなきゃ。納得いかないわ。ね!」
「子どもの連れ去りがあるから、ちゃんと証明しないといけないのはわかる。それは正しい。
でも、ちゃんとパスポート見もしなかったじゃない、あのオンナ!! その態度がおかしいの!!」
私は「そうだそうだ」と相槌しながら、
義姉の興奮が収まるのを待ちながら、
実は、ブラジルに来たんだな~と実感がこみ上げてきて、愉快だった。
そんな本心、義姉には見せなかったけど。
義姉はウチの主人と性格がよく似ていて、喜怒哀楽が激しく、ちゃんとそれを表現するタイプ。
典型的なラテン気質の義姉と一緒に旅をするのは、本当に楽しく、頼りになった。
最初は私一人でも、マリンガ旅行は大丈夫と思っていたけど、
やっぱり義姉が付いててくれて、正解だった。
サンパウロまでの約10時間。
長男もぐずることなく、無事にバスの旅を終える。
義兄が迎えに来てくれて、その足でブラジルの日本人街
「リベルダージ」へ向かう。
ここに義姉の友人が住んでいるので、彼女に案内してもらいながら
お土産を買うのが目的。
これまた懐かしの、リベルダージ。
2002年2月、初めてブラジルに来たときに宿泊したのがリベルダージにあるホテル。
約1週間滞在したが、一人で街を歩くのが怖く、ボランティアの仲間とくっついて足早に歩いたのを思い出す。
鳥居。マリンガあったけど、この存在感がすごい。
ほら、信号機まで。
鳥居デザイン♪
そのほか、ちょうちんデザインの信号機も見た。
それから、マクドナルドの概観も、なんとなく和風。
銀行も。
日本語表示。微妙に、文字間隔に違和感あるが。
少し歩くと、セー教会広場に。
教会なので神聖な場所なはずだが、
最も危険な場所として、案内してくれた地元民にも注意を促される。
カメラも見せないほうがいいよといいながらも、
ちゃっかり記念撮影。
やっぱりサンパウロに着たら、ここには足を運びたい。
↑この方面に、各地方都市があるよ~という表示。
何度もサンパウロに来ているけど、このあたり↑は歩いた記憶がない。
やっぱり地元民に案内してもらえるのはありがたい。
しばらく歩いて、大きなおもちゃやさんに行き、
沖縄で待っている娘たちへのお土産をたくさん購入。
あまりにも混雑している場所だったので、もみくちゃにされながら。
抱っこしてた長男も機嫌が悪くなるくらいの熱気で、店内で泣き叫ぶ。
と、周りの皆さんが「こっちこっち~」と、
最優先でレジの一番空いてるところに通してくれた。
やっぱりブラジルはどこでも子どもやお年寄りには優しい。
たくさんお土産を買って、とりあえず一安心。
後はどうしても会いたかったサンパウロの友人を訪ねて、地下鉄に乗って移動。
これまた地下鉄でも、すぐに皆さんが席を空けてくださるので、
ちょっとの距離でも逆に立っていると周りがほおって置かない雰囲気。
ありがたく座らせてもらう。
無事友人にも会って、義母宅に戻ったのは午後3時ごろ。
マリンガを出発してから、半日以上経ってて、へとへと。
お義母さんに挨拶をして、首からぶら下げていた長男を下ろす。
移動中はほとんど抱っこ紐なので、さすがに首や肩に負担がかかる。
しかも長男が重い。絶対に旅行中に体重が増えているはず。
旅の疲れをシャワーで流し、ゆっくり休ませてもらっていると、
あるお客さんがやってきた。
小さな楽器を手に持って・・・。
~続く~