2012年07月14日

O por do sol.

同じ歳の友達が、逝った。

彼女との出会いは中学生の時。

学校は違うけど、吹奏楽部、トランペット、という共通点から文通友達に。

あの時代、携帯もPCもないから、本当にお手紙を書いて。

高校時代まではよくやりとりをしてたけど、

私は大学へ、彼女は働きながら看護師を目指してそれぞれ県外へ行った頃から、

次第に手紙のやりとりも少なくなって、疎遠になっていた。

彼女の近況を知ったのは、私が某病院で働いていた時。

自分の娘の転院先を探して相談に来た女性。

彼女のお母さんだった。

差し出された書類の名前と年齢を見て、それが彼女であることに気づくのに時間はかからなかった。

でもまさか。

事故に遭い、脳にダメージを受けて。

私が働いていたその病院では、彼女を受け入れてあげることはできなかったが、

いてもたってもいられず、彼女に会いに関西の病院に行った。

夢をもって、県外に出て、たくさん勉強して働いて。

これからきっともっと楽しい人生を歩むはずだったのに。

数年ぶりに会う彼女は、もう話すことも歩くことも、回復の見込みも・・・。

その後、幸いにも実家のある北部地区の病院に転院することができたことをお母さんからお聞きし、

2度ほどお見舞いに行ったのだった。

ただ、私は彼女に何もできず、

何もできない自分が辛く、情けなく。

手紙のやりとりも、自分から距離を置いてしまったことへの罪悪感があり、

彼女のことが気になっているのに、また距離を置いてしまっていた。

先日、毎日チェックしているわけではないけど、何気なく新聞のページをめくっていたら、

彼女の名前を見つけたのだった。

彼女が39歳の生涯を閉じた、そのお知らせ。

偶然とはいえ、こんなに疎遠になりながらも節目節目に私が彼女の近況を知ることになるとは。

住所を頼りに、北に車を走らせた。

遺影の写真は、私が知っている小顔でかわいい中学生のときの面影が残っている彼女。

お母さんに、ご無沙汰してしまったお詫びをしながら、

彼女に心からごめんねと、手を合わせた。

そして、筆まめだった彼女らしく、こうして私に近況を知らせてくれたことに

ありがとう、と。

お母さんは、彼女を自宅に引き取り、10年近く介護していたそうだ。

そんなことも知らずにいた自分。

ごめんね。

でもたくさんの家族と一緒に過ごせたことは、きっと幸せな時間だったね。

彼女の家を後にし、なんとなく高速ですぐに家に向かう気になれず、

時間はかかるけど、海の見える国道を走って帰ることにした。

海が見たかった。

海に沈む、夕日を浴びたかった。

O por do sol.

私が好きなのは、夕日が沈んだ後の空。

刻一刻と色が変化し、どの瞬間も目が離せない。

O por do sol.

ただ、その雲を空を、水平線を見る。 
O por do sol.

それを見ている自分を、観る。
O por do sol.

私のささやかな瞑想時間。
O por do sol.

いつかふと、この景色に再び会いたくなるはず。

その時はまた車を走らせよう、北へ。


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Posted by ぶるーな at 23:58│Comments(2)Noticias do Cotidiano.
この記事へのコメント
ご冥福をお祈りいたします。

たまに思い出し、気になっていました。

あなたのブログを通して、私にもお見舞いのお礼を言って下さっているのでしょうね。胸が熱くなります。
Posted by YASU at 2012年07月15日 14:30
そうですね。彼女が何かしらメッセージを送ってくれていると思います。
彼女のことを忘れずにいようと、あらためて誓いました。
Posted by ぶるーな at 2012年07月15日 21:03
 
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